美咲の教室

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いじめをした過去は自分に返ってくる、だからやってはいけないという論理の危険性。

数日前、オリンピック開会式の楽曲作成を担当していた小山田氏が、過去にいじめを自慢するような発言をしていたことが発覚し、問題になった。その後、小山田氏は楽曲作成を辞任し、ツイッターには「いじめをした過去は自分に返ってくる可能性があるので、今やっている人たちは辞めようね」「因果応報のいい例だ」などという、少し的外れと思える意見であふれた。

 

いじめは自分に返ってくるからやってはいけないのではなく、その行為が悪いことであるからやってはならない。いじめ以外のあらゆる犯罪もそうである。捕まるからやってはならないのではない。そんな当然のことをみんなが理解しない限りはいじめは減らないであろう。

 

ちなみにいじめを行っている諸君。やってはいけないこととわかっていても、ついその場の雰囲気が楽しくてやってしまう、というケースは多々あると思う。そういうときなかなか自分に制御がきかず、行為に及んでしまうものだ。

 

この場合相手とともに自分の本心、つまりやってはならないと理解している自分のこころもいじめている。将来的に罪悪感で自らが病むか、小山田氏のようにそれすらも気付かず、自慢するような人間になるということには留意して欲しい。

 

いじめはお互いのためにならない。気に入らない者や異物だなと思う者は排除するのではなく、関わらないようにしよう(無視しようということではない)。

 

おまけ

しょうじき小山田氏に対して「因果応報だ」などと、大勢で批判しまくるのはいじめの縮図と変わらないと思う。

 

意見の正当性の問題?じゃあ客観的に見て顔が整ってない人だったら罵倒していいのか?事実だったらいいのか?

 

なかなか難しい問題だなと思ったし、なくならないわけだとも思った。