美咲の教室

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国分川分水路トンネル水没事故慰霊碑に行ってきた。

どこか慰霊碑を見に行きたくなった。というのも最近倦怠感が続き、いまいち生きている感覚がしなかったのである。そして生を知るには死を知る、それを体感するためにできることが自分の中では慰霊碑を見に行くことであった。さらに、世の中では不幸で亡くなった方もいて、その中で自分が安全に生きているのは幸福な事である、というのも再確認できれば良いなとも考えた。しかしこれは人の不幸を蜜にして自分の養分にしようとする愚行でしかないと後にわかることとなった。

 

事件の概要

千葉県にある国分川(こくぶがわ)で工事をしている最中に台風が来た。現場の建設会社は作業の引き上げを指示。その後千葉県の事務所が継続を指示、安全性は十分ではないが作業を再開。結果、台風の影響で合計7人が水死した。

(参考:

失敗事例 > 国分川分水路トンネル水没事故,

国分川 (千葉県) - Wikipedia 2021/2/21参照)

 

そして建てられた慰霊碑が「国分川分水路トンネル水没事故慰霊碑」である。台風の中、川で工事をするなど、狂気じみた指示さえなければ防げた事故である。不謹慎ではあるが、事件のその陰惨さに興味が沸いた。なので別段近くにあるわけではないが、ここに行くことにした。

 

地図アプリによると千葉県にある松戸駅から徒歩40分程のところにこの慰霊碑はある。私は疲れやすい体質のため1時間以上かかった。なんとも自然豊かなところにポツンと、目的の慰霊碑はある。その正面には大きな川があり、壮大な流れる音を奏で、慰霊碑の下を通る。たまたまであるがその日は雨で、風も強い日であった。

 

慰霊碑には分水路を造ることとなった経緯、そして台風で7人もの尊命が失われたということが石(碑)に彫られていた。まとめると以下のようになっている。

 

かつては立派な田園風景もあり国分川と地域は共存していた。しかし都市化に伴い豪雨のたびに川が氾濫するようになった。そして分水路を造ることとなり、川を貫通させるためのトンネルを造っている途中に台風が来て7人もの尊命が失われた。しばらくして分水路は完成。紆余曲折あったが水害のない生きた川の流れる街づくりをここに願う。

 

驚いたことに台風のなか作業を継続するように上から指示があったことについては触れられていなかった。そのような陰惨なことが二度と起こらないようにという警鐘のための慰霊碑ではなく、7人の生きた証の下に我々の豊かな生活が成り立っているという命の重みを感じさせるための慰霊碑であった。

 

初め私は自分より不幸な者を目の当たりにし、いま自分が生きていることだけにも感謝しようと慰霊碑を見に行ったが、そうではない。誰かが生きていた結果いまの自分があるわけで、いま自分が安全に暮らせているのであればその正の証に感謝するべきであるのだ。

 

私たちの生は誰かの生により成り立っている